【地域コミュニティ委員会】活動報告 石引まちあるき #2
地域コミュニティ委員会では、「地域情報アーカイブ」として地域に残されている記憶や記録の情報収集とまちづくりへのそれらの活用について検討しています。昨年から石引を対象としてリサーチを行っています。
2021年4月25日に、委員会活動として2回目の「石引まちあるき」を実施しました。ボランティアガイド「まいどさん」の武野さんにガイド頂きながら金沢大学病院から八坂五山までを歩き、地域の歴史や現状を深く知ることができました。コロナ禍の影響で県外のメンバーの現地参加が難しくなったことから、当日は金沢大学の学生に補助してもらいながらzoomで同時配信し、オンラインツアーにもチャレンジしました。
金沢大学病院前〜金沢美大
かつて与力町が存在した金沢大学病院出発しました。もともと土取り場、馬草のための場所が前田藩の屋敷用に開発され、最盛時には190軒の武士の家が並んでいたとのことでした。また、金沢美大では、刑務所あとの名残となるレンガもありました。
天神坂〜椿原天満宮〜田井菅原神社
天神坂では、坂の途中に与力町へ上がれる男坂と女坂があったそうです。また、椿原天満宮では、一向一揆のときの砦あとと言われる椿原砦を見ました。椿原天満宮ではちょうど春祭りも行っていました。
馬坂
六曲がり坂と言われ、与力町の馬草を馬に積んで降りた坂だったとのことです。馬坂不動尊の水は眼病に効くとの話ですが、訪れたときはほとんど流れておらず、枯れているそうです。残念でした。昔は鬱蒼とした暗い坂でしたら、伐採し整備され明るく見晴らしの良い坂になっていました。
宝円寺
宝円寺はもともと木曽坂城(砦)だったそうで、前田利家の金沢入城と共に開山したとのことです。開山堂には前田家歴代の大きな位牌が並んでいました。何度か焼失して今の建物は明治期のものだそうですが、室内に立つ仁王像は珍しく、阿形は当時のもの(色の塗り直し)、吽形は寺院焼失後に作ったものとのこと。素敵なお庭と茶室や2階には広間があり、お茶やヨガなど地域のイベントを行うスペースにもなっているそうです。
木曽坂〜八坂五山
木曽坂の道は、もともと源太郎川の渓谷にある細い小道だったそうで、いまでもその一部が残っていました。木曽の谷に風景が似ているとのことから、木曽坂と呼ばれるようになったそうです。その後、八坂五山まで歩き解散となりました。
参加者の感想(一部)
・今回は石引の旧与力町や天神町を中心に歩きましたが、台地と急傾斜という独特の地形の織りなすダイナミックな空間を体感できたことと、地層のような時代の変遷が金沢まいどさん武野さんの解説によって要所要所でひょっこり顔を出しているように思え、とても楽しく体感できて面白かったです。
・由緒ある寺院や神社がとても多いのも驚きましたが、そのなかでも石引にある宝円寺は、定期的に茶会を催しているだけでなく、寺ヨガなどのカルチャー教室やキモノピクニックなどのイベントする場になっています。前田利家と芳春院まつの菩提寺でもありますが、国の有形文化財にふさわしい風格と市民が主体的に利用するコミュニティの場というギャップが興味深かったです。
・ちょうど椿原神社のお祭りだったことはラッキーでした。道幅の狭い昔の街道沿いに露天が並び親子連れで賑わっていた風景は、少し昔の金沢の旧市街地ではどこにでもある日常の風景だったのでしょうね。少なくなったとは言え町家も残っていてヒューマンスケールの町並みが懐かしい感じでした。街道沿いにある天神町緑地もグリーンインフラとして使われていました。
・ちょうど石引では「山岸薬品」のアート展示や、ゲストハウスの催し「石引にて」も開催されていました。当日みなさんで伺うことはできませんでしたが、懐かしくレトロな不思議エリア石引から目が離せません!
商店主の世代交代や美大の移転など地域が変わりつつある石引で、歴史や特色を残しながらどのような活動が必要とされるか、引き続き検討していきたいと思います。
地域コミュニティ委員会 石引まちあるき #2
■日時:2021年4月25日(日)13:00~16:30
■参加者:
地域コミュニティ委員会メンバー:12名(うちオンライン参加2名)
ガイド:1名
学生補助:4名
■訪問先:
金沢大学病院(旧与力町)/真如院の墓~金沢美大(刑務所跡)/天神坂~椿原天満宮(椿原砦跡)/田井菅原神社/天神町~天神町緑地(高垣砦跡)/馬坂/宝円寺(木曾坂城跡)/木曾坂/八坂五山