能登復興特別委員会が能登を視察しました(報告)
能登復興特別委員会のメンバー10名が7月29日に能登を視察し、趣都フォーラムで登壇してもらった4名の方々が活動する現場を訪問してお話を伺いました。
【黒島の杉野智行さん】
杉野さんは震災後に石川県庁を退職して黒島に移住、ゲストハウスを運営する傍らで同地区復興のボランティア活動を推進しています。
黒瓦と黒ずんだ板壁がこの地区の家屋の特徴で、伝統的建造物群の主な構成要素ですが、多くの家屋が地震によって全半壊となり、その判定を示す貼り紙があちこちに張り出されていました。中でも、黒島を代表する建物「旧角海家住宅」が完全に倒壊してしまっている姿はショッキングでした。築100年以上の北前船の船主の住居で、国の重要文化財です。価値のある家財などはレスキュ-済みですが、建物自体は手つかずの様子で破片も周囲に散らばったまま。再建の計画があるそうですが、立派な柱や貴重な黒瓦など使える材料が多そうなので活用してほしいものです。
集落の中には昔の理髪店や店舗など、洋風の様式を採り入れた昭和の風情が残る家屋もあって、独特の味わいと魅力を感じました。かつては町で唯一お酒が飲めるスナックだったという海に面した家屋も無事に残っていて、漁師が仕事の後に酒を飲んだりけんかをしたりしたという昔話を住民から聞かされたと杉野さん。これらの家屋の中には具体的な活用方法を考えているものもあるそうです。
杉野さんが震災前に入手してゲストハウスの準備を進めていた家屋は旧角海家の目の前にその姿を残していますが、全壊判定だそうです。それでも震災後に別の家を手に入れて再建、ゲストハウス黒島として8月1日にプレオ-プンしたそうです。当面はボランティアの拠点として貸し出す予定で、黒島に泊まりたいという一般の声も多いので、今後の対応を検討していくそうです。「この町で継続的にお金を生み出すしくみを考えていくことが復興には重要」と話していました。
【門前の宮下杏里さん】
宮下さんは總持寺通り商店街の振興を推進していて、町を歩くと住人から次々と声がかかり、地域コミュニティ-のリ-ダ-的存在に感じました。
宮下さんが運営する輪島市の「櫛比の庄禅の里交流館」本館は、前回の震災後に建てた鉄筋造りのため、建物被害は軽微だったそうです。発災時は地域の避難所として使われ、今でも2階が復興ボランティアの拠点となっているそうです。隣接していた築100年の呉服屋の建物「旧酒井家」を事務所として使っていたものの倒壊。公費による緊急解体となり、今はさら地になっていました。
總持寺祖院から350メートルにわたって続く通りが商店街で、歩くと通りに面した家屋のほとんどが地震の被害を受け、中には完全に倒壊してしまっている建物がそのままの状態で残されていました。宮下さんによると店舗の半分以上が全半壊で、その多くが今でも営業できない状態だそうです。
宮下さんは活気を取り戻そうと「門前マルシェ」というイベントを再開させるなどしましたが、それでも今後は空き店舗の活用方法を考える必要があるかもしれないそうです。「全壊した家が住建メ-カ-の建物に置き換わらないでほしい。景観を大切にしたまちづくりをするには、建築家などの協力が必要」と話していました。
そうした中、復興に向けて同商店街は、10月にプレハブの仮設店舗を駐車場など3カ所に作ることを決めた。豆腐店、和菓子店、呉服店など、営業を再開できていない11店舗が入居し、店舗のデザインなどは金沢大学の学生が手伝うことになったそうです。宮下さんは「仮設商店街として地域全体を盛り上げるきっかけにしたい」と話し、今後の復興支援について「その場にいて支援してくれるのはもちろん、小さいことでもいいので長期で継続して支援し続けてくれることも重要。今は復興支援やイベントなどで人が来てくれるかもしれないが、5~10年後のにぎわいにどうつなげていくかが課題」と話されました。
【輪島の桐本泰一さん】
輪島で訪問した桐本泰一さんが運営する「輪島キリモト・輪島工房」は、町の中心部から少し山側の新しく造成された区画にありました。3年ほど前に移転し工房を新築したこともあり地震による建物への被害は軽微だったそうですが、工房内の作品が破損するなどの被害があり、離れた場所にある自宅も全壊したそうです。
工房の裏手には紙管と呼ばれる紙の筒を使った仮設工房が2棟建っていますが、建築家・坂茂さんの協力によるもので、3月に20人ほどに手伝ってもらい2日で建てたとそうです。「紙の骨組みは不安だという声も聞くが、紙管は軽くて丈夫、組み立てに重機も不要で、ニスを塗るなどの手入れをすれば半恒久的に使える」と桐本さんは絶賛していました。費用も250万円くらい+工事費で、補助金等を活用すれば100万円程度で建てられるはずだということです。しかし自治体に仮設住宅としての採用を訴えたものの、基礎がビールケースであることなどから建物扱いにしてもらえなかったと残念がっていました。
隣接する土地には公費によって輪島塗の仮設工房30棟を建てる計画があり、建設が進んでいました。市内数カ所に計69棟が建てられ、輪島漆器商工業協同組合の工房や漆器店を中心に、個人の職人も入る予定だそうです。この仮設工房は日本モバイル建築協会が設計したコンテナ状の組み立て式で、70センチかさ上げした上に基礎を打って建て、2年半限定にもかかわらず1棟当たり1,000万円以上するそうです。せっかく隣に多くの工房ができるのであればと桐本さんは、統一的にデザインしたタペストリーを各工房入り口に掲げるファクトリーアイデンティティーを提案していて「地域を盛り上げて復興のきっかけづくりに」と話されました。
また、復興支援のおかげで今は売り上げにつながるだろうが長続きしないとした上で「輪島塗は伝統工芸の側面だけでなく、他にない特殊なものを作る技術がある。この強みを生かした新しい工芸を追及するなど、何年か先に向けた工夫をしていかなければ」と課題をあげ、「輪島塗は昔からの職人気質が残る一方、若手を中心に新しい動きもある。世代間のギャップや考え方の違いを超えて輪島塗の将来をどうしていくかを考えることが今こそ必要」と訴えていました。
【和倉温泉の多田健太郎さん】
多田さんの経営する老舗旅館「多田屋」は温泉街の一番奥ですが、他の旅館同様に岸壁が崩れ、海沿いのスペースを中心に甚大な被害がありました。館内の一部を見せてもらいましたが、地盤沈下した場所にある建物には亀裂や破損が目立ち、特に地上階にある浴場や露天風呂付きの客室などは、海が目の前にあるという景観を重視した設計になっているために被害が大きいようでした。護岸には波対策のための大きな土のうが積まれているものの、土砂が流出し続けて今でも地盤が下がっている箇所があるそうです。
多田さんによると、護岸の復旧工事については地権譲渡などの方針は示されたものの具体的な計画についてはまだこれからだそうです。将来的に客室の数を減らして品質を高めていく構想もあるそうですが、低層階にある大浴場などの共用設備が大きいために不釣り合いになる課題があって悩ましいそうです。「建物の部分解体も考えているが、全部を解体するより手間と費用がかかるという話も聞く。そもそも業者が繁忙なために見積もりさえできない」と困惑されてました。
多田さんが委員長となって発災後3週間で策定した「和倉温泉創造的復興ビジョン」では、今まで旅館の中に閉じていたビジネスを、客が地域内の店や観光資源をめぐるようにするなどの方針を訴求しましたが、その後の具体化に向けた検討は思うように進んでいないそうです。多田さんは課題の一つに関係者の連携を挙げ、自治体との連携や業者など外部協力者との関係構築がうまくいかなかったり、地域内でも旅館同士や世代間で考え方の違いがあったりするそうです。まずはそこから改善しないと復興も進まないと危機感を募らせていました。
多田さんは将来に向けて、海岸沿いに旅館のビルが並んでいて建物に入らないと海が見えないという状態から、海の見える町に変えていきたいと話されました。「目前の問題を早く解決したい気持ちもわかるが、以前の状態に戻す復旧だけではなく、5年~10年先にどうあるべきかを考えた復興を考えるべき」と話し、自らの旅館も、ワーケーション対応のコワーキングスペースを作って企業誘致するなどをしていきたいと意気込まれていました。